原発事故に思う事

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今原発が大問題になっています。自然界には存在しなかった物質、それも半減期がモノによって何万年とかと言うことですから、その複雑さと深刻さは特別です。
繰り返し危険が指摘され申し入れが有ったにも関わらず、「安全神話」を振りまき、或いはそれに乗って原発を推進し、まともな対策すら取って来なかった東電、御用学者、自民党、通産省等の責任が、事が落ち着いた後厳しく問われるべきだと思います。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2011/03/2006-071-f3d1.html

責 任や賠償問題もそうですが、このトピのお題に沿って視点を広げて見た時、地球的規模で影響を与えるまでになった巨大な生産力・テクノロジーを、利潤追求を 最大の動機とする一私企業のコントロール下に置いていいのかどうか? これが深刻に問われる、そう言う問題なんだと思う訳です。

自動車が地球温暖化の大きな要因の一つ(全てじゃ有りませんが)で有ることは明らかです。
その因果関係が分かっていたとしても、例えばトヨタが、自ら生産を自粛することは有り得ません。一社だけでそんなことをしたら資本主義的自由競争の中で競争に負け、あのトヨタでさえ倒産してしまうでしょう。

トヨタは否応なく、自動車生産の最大化を目指して、道路建設、エコカー減税、地方公共交通機関の廃止等を政治に働きかけるでしょうし、海外売り込み最適化を目指してTPP妥結を政治に要求するでしょう。
資本は利潤最大化に特化したいわば外的なシステム・法則として、コトの善し悪しや、経営者の人格を超えて、時に全体の利益を超えてさえ貫くでしょう。

フロンガスがオゾン層を破壊することが分かったとしても、個々の企業が自主的にその製造をストップすることは無かったでしょう。倒産のリスクを冒してまで資本は「全体の利益」を優先しなかった筈です。
フロンガスの製造・使用に規制が掛ったのは、法律によって業界全体に規制を掛けた為です。

資本主義の特徴として、「『法の下の平等』の民主主義」と「巨大な生産力」を挙げることが出来ますが、ますます巨大化するこの生産力・テクノロジーを、何時の時点かで、一私企業の利潤追求動機から解放し、社会全体の規制下に置くべき時が、否応なく来ると私は思います。

又今回の原発事故での計画停電や、原発そのものの可否を考えた時、大量生産・大量消費を美徳とするかのような、資本主義的生活スタイルも含めて、社会全体を計画経済に切り替えるべき時が、これも否応なく来ると、特に今回の原発事故に際して痛感した次第です。

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このページは、雄が2011年4月 3日 09:27に書いたブログ記事です。

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