道具と言葉、社会

NEXT(人間における「道具」の意味)


ヒトから人間へ、群れから社会への飛躍要因

生物学的には類人猿の延長に過ぎないヒトを、今の人間に飛躍させた一番の要因は道具です。
道具は身体器官の延長・代用でありながら、その進化に遺伝子変異を必要としません。ここに塩基配列1.23%とも言われる、チンパンジー等、他の類人猿との生物学的な僅かな差異と、しかしその中で、彼らから突出して巨大な人間の文明や複雑な思考との、一見、調停不能な矛盾を両立させるカギが有ります。

次の要因は言葉です。
言葉は単に意思伝達の手段に留まらず、人間に思考と概念を与え、他の動物にない理性的認識を与えました。

人間が道具と言葉を獲得したハード的な要因は直立二足歩行です。全てはここから始まりました。
ソフト面での要因は群れによる共同作業、つまり社会的な労働です。共同作業が無かったらお互いの意思疎通の手段ととしての言葉も必要無かったし、道具も今のチンパンジーやゴリラに見られるごく単純な、個体ベース使用以上には発展しなかった筈です。

生物学的ヒトから人間への飛躍は、言い換えれば、サルの群れから人間社会への飛躍と言うことです(※ 物質の運動の階層性、結節点 参照)。
群れはあくまでも生物学的な範疇です。だからこそ生物学的に同じ種は概ね同じ「群れ」を作ります。多少のバリエーションは有るにしても、基本的なところで例外は有り得ません。ゴリラはハーレムを作るし、チンパンジーやボノボは、乱交の群れを作ります。

しかし人間社会はこの法則に全く当てはまりません。これについては次ページ以降で詳細に、具体的に検証して行きます。

社会的ネットワークと内面的ネットワーク

今人間は、社会から切り離された状態で、生物学的ヒトとして生きて行くことさえ出来ません。
言葉は勿論ですが、直立二足歩さえ、若し家族を含めた人間社会のネットワークから切り離された時、その獲得は不可能でしょう(実験で確かめることは出来ませんが)。
つまり言葉・直立二足歩行と言う、ヒトとしての最も基本的な属性さえ、個体レベルの問題でなく、社会的な要因なのです。

社会は人間にとって単なる「外的な環境」に留まりません。社会的なネットワークがその人の内面的な(脳内)ネットワークに組み込まれて初めて、その人の人間としての様々な属性が活性化するのです。
親から放置されるなどして、この社会的なネットワーク(家族は個体が経験する最初の社会です)が内面的なネットワークに組み込まれなかった場合、ネグレスト等、深刻な問題が発生します。

物質の運動の階層性

道具、言葉、直立二足歩行、群れと社会など、その相関関係を理解する上でどうしても乗り越えなければならない、思考上の垣根が有ります。
「生物学的には、1.23%の遺伝的差異」或いは「0.07%の遺伝的均質度」と、実際に眼の前に展開している、人間だけのこの「特殊性」と「バリエーション」の両立をめぐる、専門家を含めて多くの「進化生物学フェチ」の各位が落ち入るご都合主義は、結局この「垣根」を乗り越えられず、あくまでも生物学的な枠の中だけで人間を理解しようとしたことによるものなのです。

これを理解する鍵は「物質の運動の階層性」です。或いは日本物理学界の巨人、故坂田昌一博士が強調した「結節点」です。(※ 物質の運動の階層性、結節点 参照)

結節点を超えて

生物学そのものは立派な学問です。
特に1953年、ワトソンとクリックによる遺伝子DNAの分子構造確定以降、それまで地味な学問だった生物学、特に進化生物学は怒涛のような進展を見せることとなりました。20世紀は物理学と生物学の世紀となった訳です。
(※ 私はDNA分子構造解析の功績は、半分以上ロザリンド・フランクリンによるものだと思っています。ワトソンとクリックはフェアじゃない!!

この進化生物学の大きな成功が、逆にその枠=結節点を超えての人間理解を妨げている一つの要因となっているのでしょう。
しかし人間は単なる生物の延長だけで理解できるものでは有りません。
この章ではその辺の事情を検証して行きます。



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