ヒトから人間へ

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生物としての連続の確認

人間はヒトとして生物のの一種です。特にチンパンジーやボノボ等の類人猿と比較して、殆ど違いの無い「近縁度」、つまり単なる「裸のサル」に過ぎない人間の生物学的側面を、先ず最初に確認します。
一言で言えば「生物としての連続」です。

「『裸のサル』に過ぎない人間」は、現在の日本ではあまり深刻な問題にならないことですが、キリスト教の精神的支配が強かった19世紀頃までの中世ヨーロッパでは、元々、聖書の「創造論」に疑問を持つことは殆どなかっただろうし、仮に疑問を持ってそれを主張したとすれば、「火刑」にも繋がる程の、禁句中の禁句でした。
ダーウィンが『種の起源』を書き上げながら、長い間出版をためらったのも、教会への配慮でした。
今でも、聖書の「創造論」を、字義どおりに解釈して、人間を進化の結果と見ず、神によって作られた特別の存在とする人たちが、バチカンの本拠地であるイタリアや、特にアメリカの南部を中心に、無視できない勢力として存在します。

「創造論」的論調批判

ここでは最初に、人間の「生物としての連続」を確認することで、これら人間だけを他の生物と切り離し、特別視・神聖視する、様々なバリエーションの「創造論」的論調を退けます。

「生物的群れ」から「社会的存在」への飛躍

日本であまり深刻な問題にならなかった「裸のサル」と違い、この「『社会的存在』への飛躍」の主張に対しては、主に進化生物学陣営から非難の石が飛んでくることが有ります。実際「社会的存在」と言う概念自体、中々説明の難しい問題です。
進化生物学そのものは、勿論極めて有意な学問です。人間を考えるときにも貴重な土台となる知見を与えてくれます。問題はその枠組みだけで理解するには、人間はあまりにも複雑だと云うことでしょう。
「『生物的群れ』から『社会的存在』への飛躍」と言う、現象を理解するためには、思考も又、進化生物学の枠を超えた「飛躍」が必要なようです。

ここでは、人間が到達した高度な科学技術、道具、言葉、思考など、様々な側面を、他の動物と比較しながら、それらが単に他の類人猿などからの連続、「程度の問題」だけでは説明がつかないこと、それぞれが人間だけの質的な違い、飛躍が有ることを考えてゆきます。

機械論的「社会ダーウィニズム」批判

それらを通して、人間社会に、生物進化の法則を安易に、それも意図的に曲解して機械的に適用しようとする「社会ダーウィニズム」の属論を批判して行きます。

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