注釈
註1 - ヒト
ここでは頻繁に「ヒト」と言う表現が出てきます。最初にそのことについて。
ヒトとは、 狭義にはホモ・サピエンス、つまり現世人類の日本語学名。より広く言えば、猿人、原人、旧人、新人とたどって来た、つまりは明らかに人類的特長を持つ、個体とグループを表現する日本語学名とされます(homo 英 man 仏 homme 独 Mensch)。
人間を動物学的に分類した時の呼称と言って良いでしょう。「人類」とほぼ同義。
ヒトを他の類人猿と区別する身体的特徴は、「直立二足歩行」です。
しかし動物としてのヒトと、文化を持ったヒト(人間)を切り離して、ヒトを理解することは不可能であり、例えば 「人類学」はヒトの体と文化(生活状態)とを総合的に研究し、その関連を知ることを目的とします。 (岩波 生物学辞典より)
註2 - ボノボ
かってピグミーチンパンジーと呼ばれ、やや小型のチンパンジーとされていたが、今は違う種として扱われ名称もボノボと呼ばれる。チンパンジーと同じパン族。
およそ230万年前、チンパンジーと分岐した。
チンパンジーがアフリカの西海岸から東部のタンザニアまで広く分布するのに対し、ボノボが生息するのはコンゴ川(ザイール川)の南側だけ。おそらくこのアフリカ第二の大河によって地理的隔離がなされ、2種に分岐したのだろう。
旺盛で多彩な性行動で知られる。この旺盛な性行動は個体同士の緊張を緩和するのに使われているらしい。
知能はチンパンジーに勝ると見られ、頻繁に2足歩行も見られる。
スー・サベージ・ランボー博士による、「天才ボノボ」カンジ、パンバニーシャなどの言語訓練研究が有名。
註3 - 分子進化学と分子時計
分子時計
遺伝情報を担う分子であるDNAやそれを反映したタンパク質分子の、時間経過に伴う変化、言いかえれば、そのような分子の変異が特定遺伝子に蓄積する速度=塩基置換率を調べることで、比較する生物種同士の遺伝的近縁度、更にはその種が共通祖先から分岐した年代を推定する研究手法。
塩基配列は突然変異によって置き換わる(塩基置換)。その置換の程度が経過年数に比例すると仮定すれば、異なる種同士で塩基配列の差異をカウントし比較することで、比較対象の種の近縁度と分岐した年代を計る「時計」として使える。
分子時計の問題点
但しその分子変異の程度が「分子時計」として、分岐年代決定の機能を持つには、次の二つが前提として承認されていなければなりません。
-
塩基配列の比較から得られる分岐年代は、比較する種間の相対年代だけです。何万年前とか何百万年前とかの絶対年代は、化石証拠による基準年代決定に左右されざるを得ません。
その時、当該指標化石の年代が「正しい」ことが前提になります。この部分に誤差が有ると、それを基準にした相対年代にも当然誤差が生じます。 -
塩基配列の比較による(相対的)分岐年代の決定には、経過時間当たりのの塩基置換率が一定であることを前提とします。これによって年代決定の基準=分子時計として機能します。
しかし塩基置換率が一定だと言うことが、必ずしも保証されている訳では有りません。
化石を元にする古生物学陣営は、特にこの点を問題視します。
更 にもう一つの問題として、この分子生物学で分かることは、DNAサンプルを取れる現生生物(最近ネアンデルタール人の化石 - 遺骸からDNAサンプルを抽出出来たことが大きな話題となっています)に限られ、遠い過去に絶滅した生物は研究の対象になり得ないと言うことです。
分子であれ化石であれ、どちらも極めて貴重な研究手段で有る訳で、双方相携えて強みと弱点を補い合い、進化生物学共通の知見を前に進めて欲しいものです。
分子による遺伝的近縁度(逆に言えば差異)は研究手法によって若干の差が出てきます。又、比較する分子によっても結果は違います。
同時に次のような事情も留意しておいた方が良いでしょう。
エクソンとイントロン
ヒ トとチンプの遺伝的多様性の検証に、最初に分子を持ち込んだのは、バークレー校のアラン・ウィルソンとヴィンセント・サリッチだが、当時、つまり 1960年代半ばには未だDNA分子の直接分析は出来なかったので、彼らはDNAの代わりにタンパク質分子を利用しました。タンパク質はDNAの塩基配列 によってコードされているアミノ酸が繋がったものだから、タンパク質の比較はそのままDNAの比較に繋がる。
しかしこの分析手法で問題にされるのは、タンパク質合成に関与しているDNAだけだと言うことです。
人間(チンプやゴリラも)のDNAにはタンパク質合成に関わる、エクソン(エキソンと表記される場合も有る)と呼ばれる領域のほか、タンパク質合成に関わらず何の働きもしないとされて、 「ジャンクDNA」と呼ばれることもあるイントロン領域が、エクソンの何倍も有ることが分かっている(最近の研究で、このイントロンにも何らかの存在意義 が有るのではないかとされてはいるが)。
そしてこのイントロン領域は、生存に有利にも不利にも働かない為、突然変異が淘汰に掛からずそのまま定着する率が高い。つまりは変異スピードが極めて速い。
タンパク質の比較だけでは、このイントロン部分の変異が考慮されないことになる。
イントロンを含めたDNA全体の変異は、従ってもっと多くカウントされることになる筈だ、と言う訳だ。それがどの程度の意味を持つか、私には分からないが。
25%の共通性
もう一つ。DNA分子の比較と言う点で、任意の二つの種、例えば人間とナメクジ、或いは人間と大腸菌で対応するDNAの塩基配列を比べたとき、どんなにかけ離れてもその差異が75%以上になることは無いと言うことである。
例えば、ヒトと大腸菌のシトクロムc(チトクロームc)に関わるDNAを比較したとき、最低でも25%以上の共通点を持っていると言うことだ。それは同じ共通の祖先に由来する、全ての生物の土台と言うことだろう。
だからと言って、人間が25%大腸菌的だということではないし、25%ナメクジの性質を持っていると言うことではない。
ヒトとチンプ、或いはゴリラの遺伝子的差異を考える際にも、その辺の「共通の土台」を留意しつつ数字を見てゆくことも必要だろう。
分子時計と化石から見る、ヒトとチンプ・ボノボの分岐年代
ヒトと、チンプ、ボノボが共通の祖先種から分岐した年代は、分子生物学の知見を最初に人間に適用した、ヴィンセント・サリッチとアラン・ウィルソンによって、最初480万年前、或いは500万年前とされて来ました。
その後、チャールズ・シブリー、及びジョン・アールクヴィストによる、DNA交雑法を使っての別個の測定、及び分子生物学の更なる発展等により,タンパク 質やゲノム分析の技術が向上し,分子時計による人類進化の道筋の推定がより正確なものとなって、今では100万年ほど遡った、およそ600万年前と主張さ れるようになっているようです。
しかし最近、古い地層からの猿人化石の発掘が相次ぎ、この分岐年代さえも見直しが余儀なくされているようです。
特に、2000年発見のオロリン・ツゲネンシス(600万年前)、2001年に発見された、サヘラントロプス・チャデンシス(愛称 トゥーマイ、600 - 700万年前)の意義は大きく、今では更に100万年も遡った700万年前辺りを分岐年代として視野に入れる必要にせまられているよ うです。
しかもオロリンにしてもトゥーマイにしても、発見された化石には既に直立二足歩行の痕跡が見られる訳で、ヒトはチンプなどと分岐して殆ど間を置かずにこの、直立二足歩行を獲得したことになります。と言うか直立二足歩行したからヒトとして分類されている訳ですが。
この600万年とか700万年とかの古さが逆に、オロリンやトゥーマイの化石を、ヒトに分類すべきか否かについて、一部論争になっている模様です。
私としてはトゥーマイ頭蓋骨化石にハッキリ認められる、直立二足歩行の特徴からしても、これをヒトとして認めるに些かの疑問も無いのですが、この決着は新 たな化石の発見や専門の研究成果に委ねるとして、いずれにしても700万年前程以前には、ヒトとチンプやボノボが同じ動物であったことは間違いないところ です。
そして1000万年余り遡った過去には、ゴリラとも又祖先を同じくしていたのでしょう。
註4 - 本能
現在「本能」と言う言葉は、専門家の間ではあまり使われなくなったようですね。
「本能」とは一般的に言って、「遺伝子DNAの情報に基づき、生後の学習(模倣・練習など)を必要としない、生得的な行動様式」とでも定義できるかと思います。
「本能的(instinctive)」の 語は、生得的とほぼ同じ意味で使われている。と、岩波「生物学辞典」にも記述されています。
取り合えずここでもそのような意味合いで使っておきます。
しかし色々な観察の結果、従来「本能的」とされていた行動パターンが、実は生後の環境と深く係わっていたり、"素材"としては「生得的」なのだが、その発現には生後の環境や学習が必要だと言う行動パターンが各種見出され、一筋縄ではいかないことが分かって来ました。
現在では、本能は記述の為の概念としてのみ用い、説明概念としては用いられていない(岩波生物学辞典)、そうです。
昆虫の本能
この「本能」を極端に発達させた動物が、昆虫です。
昆虫はは殆ど、親による子供の世話が有りません。つまり子供からすれば、親からの学習の機会が有りません。
モンシロチョウは、緑の葉っぱに卵を産み付けるだけで、後は全くのホッタラカシです。子供が卵から孵化したとき、殆ど、親は既に死んでいます。
それに昆虫の寿命は、ワンシーズンと言うのが殆どです。 蝉やトンボなど、幼虫で土や水の中に何年か過ごす場合がありますが、成虫になってからは数日の寿命です。学習してもそれが蓄積されると言うことは有りません。
そこで昆虫は、学習や模倣を必要としない本能を、極端に発達させることで生き残る戦略を選びました。
その、あまりにも見事な例を一つ紹介しておきます。
ヒメバチの産卵
メスのヒメバチは長い産卵管で、地中のイモムシの体内に卵を産み付ける。
イモムシの体内で孵化したヒメバチの幼虫は、イモムシをその体内から食べ始める。
ここでヒメバチは驚くような行動を取る。 最初はイモムシの貯蔵脂肪や結合組織などだけを食べ、イモムシにとって致命的な器官は残しておくのだ。
そして、イモムシの幼虫がさなぎになると、はじめてヒメバチの幼虫はイモムシのさなぎを全て食べつくし、最後にヒメバチの幼虫はイモムシのさなぎから出て、さなぎになる。
成虫になったヒメバチのメスは、同じように又、イモムシに産卵する。
この一連のヒメバチの行動の、どの段階をとっても、ヒメバチは親の行動を見ていません。
特に、母親が自分をイモムシに生みつけてくれたこと、そして自分も同じくイモムシに卵を産み付ける必要が有ることを、どうして理解しているのか。
これは自然に見られる適応の、あまりに見事な例として有名です。
※ 他の昆虫の幼虫(イモムシ)に寄生産卵するハチはヒメバチに限りません。広く見られます。
こう言った産卵行動を取るハチを、一般的に「寄生バチ」と呼びます。寄生バチとその犠牲になる宿主、及び宿主であるイモムシの食害を受ける植物との、複雑に絡み合った三つ巴の生き残り戦略が見られます。
この寄生バチによる余りに見事な適応、或いはミツバチの「8の字ダンス」等を見るにつけ、ダーウィンが言うように「突然変異」と「自然選択」だけで、本当にこの複雑な行動様式が可能だったのだろうか、素朴な疑問を抱かざるを得ないところです。
獲得形質の遺伝、ウィルス進化論、分子の自己組織化など、その中身は別として、何らかの方向性の関与を想定したくなりますね。
学習による適応
これに対し、例えば鳥は、学習によって適応能力を高める方向に、ある程度進化した動物だと言えるでしょう。
卵から孵化したばかりの幼鳥は、殆ど飛ぶことが出来ず、勿論餌を摂ることも出来ません。
生きる為、基本的に必要なこれらの機能は親からの訓練によって学習します。
これは、親からしてもなかなか大変な事業で、その為鳥類の多くの種は、 父・母共同で力を合わせ、子育てをする必要に迫られます。多くの鳥類がペアで巣作り、子育てするのはその為です。
しかし、「学習によって適応能力を高める」と言う、この行動様式そのものが、鳥類の本能だ、と言われれば、或いはそうかも知れません。